手塚治虫さんって、生きていればまだ82歳なのですね。
もし現在も手塚さんが存命で現役の漫画家だったら、やはり作品に「平成の子供のセンス」を取り入れていたと思いますか。
1989年から「青いブリンク」を週刊少年サンデーで連載する予定であったことを考えるとやはり少年マンガに執着があったのでしょうね。
吾妻ひでおの影響を受けて「ドン・ドラキュラ」、内山亜紀の影響を受けて「プライムローズ」などを描いていましたし、現在だと萌えマンガやワンピースの影響を受けた海賊マンガを描いていてもおかしくないと思いますね。
もし存命だったら、少年マンガはもう描いていないのではと思います。
晩年に少年誌やヤング誌に発表したいくつかの作品は、編集部の無理解と無能により目を覆うような出来のものもありました。
青年誌を舞台に、作品の数を絞って入魂作のみ遺すか、原作者として活躍するのではないかと思います。
本当ならば、しばし体を休めて、御自身の業績のまとめと戦後マンガ界の総括をしていただきたかったですが、とことん現役にこだわり走り続けた氏が“一線から身を引く”ことを良しとすることはありえないでしょうね。
私は取り入れていたと思います(痴呆・健忘、脳血管障害等になってなっていなく、昔のままの手塚治虫先生と仮定して)。
手塚治虫先生ならその描写を、漫画ならではの、さらに新しい表現方法で描いていたのではと想像してしまいます。
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